どぅるメモ

カレーを作ってます。

いまを生きる知恵を歴史に学ぶ【サピエンス全史レビュー】

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どうもあんどうです。ちょっと前まで巷で噂だったサピエンス全史、先日読み終わりました。

いつか読書レビュー的なのもやりたいなと思いつつも、読む速度がカタツムリなので今になってようやくの実現です。

 

今回は、本の内容に即して自分が考えてることを書いていこうかと思っております〜

 

 

  

なぜ人類種は繁栄したか

タイトルの通り、この本のテーマは

 

「我々人類=ホモ・サピエンス」がなぜこれほどまでに地球上において繁栄してきたのか

 

ということです。

このテーマを歴史学を中心に宗教学・経済学などの様々な視点から解説してくれている感じ。

 

なにせ上下巻に分かれちゃうようなボリューム感なので、細かいことはおいといて

今回はこの主題の話だけにします。

 

共通の「虚構」を信じる力

本書における作者の主張として一番大きいものは、

「人類の繁栄は、共通の虚構を作りだし、

それを集団で信じる能力によって実現した」

だと思います。

 

要するに、ありもしないものをみんなで信じ込んで力を合わせたからここまで強い勢力になったよ、ってことです。

 

 

本書の中ではそういった「虚構」の代表的な例として

 

・宗教

・国家

・貨幣

 

があげられています。

 

上記のものはすべて

「同じ集団に属する人々全員が信じることによってのみ存在する」

ものであり、実体としての価値はなく関係性の中にのみ価値がある「虚構」です。

 

宗教に関しては、多くの人が虚構であることを理解できると思います。

グローバル化の影響もあり、様々な宗教を相対的に観察できるので

「ああ、あの宗教の神様は信じている人たちの間にしか存在しないんだな」

と、比較的容易に受け入れることができます。

 

 

 

しかし、国家や貨幣はどうでしょう。

 多くの人がその存在を信じているのではないでしょうか。

 

ちなみにここでいう存在というのは、物理的なものではなく、

 本質的な価値・概念のことです。

 

国家に関して言えば、当然「領土」があるのだから存在するに決まっている!と思うかもしれませんが、

もしその「領土」が広がっても狭まっても、その国は存在する。

日本で言えば、例えば沖縄や北海道がごっそり海に沈んでも、「日本」という国家は消えません。

 

つまり、「国家」というものはあくまで人々の共通了解の産物に過ぎず、実体を伴わない「虚構」だということです。

 

 

 

 

 

貨幣はもっと簡単です。

最近は電子マネーが普及していますが、お金の価値は結局、硬貨や紙幣が数ビットの情報に変わろうが変化しません。基本的に日本で外貨が使えないのも同じです。

その「価値」を人々が信じている場合にのみ存在するわけです。

 

 

 

 

具体的な説明が長くなりましたが、

 

人々は物理的な限界にとらわれない想像上のものを信じることで、

より広い領域において、より大人数で協力できるようになった

 

というのが筆者の主張です。

 ゾウやライオンなどの動物は、実際に接触できる範囲でしか群れとして協力できません。

しかし、人間はどこにいようが、神や民族、国家などの概念を共有していれば仲間として協力することができるようになり、それによって人類は飛躍的に繁栄したということです。

 

本の内容はおおよそこういった主張を歴史的な事実と解釈を元に証明していくものです。

 

非常に面白いのでぜひ機会があれば手に取ってみてください。

 

人類は優秀になりすぎた?(オピニオン)

 

人間は自分たちが生み出したものの手綱をどんどん握れなくなってきているように思います。

 しかし、それに気づけていないことが多々あるのだということが、歴史を振り返るとよくわかりました。

 

生活を安定させるために生み出した農耕・集住生活は村同士の争いを生み、

 

苦しい社会を生き抜くために生み出した宗教は他の宗教との争いを生み、

 

みんなで豊かになるための国家は戦争を生む。

 

豊かさや幸せを求めた先には他人の幸せがあり、それがぶつかりあって最終的に悲惨な結果になることが歴史上では往々にしてあります。

 

そして現代では資本主義や科学全般。

人類をもっと豊かに、幸福にせんとして生まれたものがどんどん自分たちの首を絞め始めているように思えます。

 

今急速に発達しているITやBTなどは、根本的な人間の存在意義を揺さぶるものであることは間違いありません。

 

現代社会で人々が信じている虚構は「科学」と「資本主義」だと筆者も述べていましたが、まさにその通りだと思います。

 

科学や資本主義経済という虚構の絶対性を信じ、それが私たちを幸福にしてくれると思って突き進んだ先に何があるのかを、今から個人が考えておく必要があるように思います。

 

 

虚構で作られた社会に生きるということ

こんな本が出るような世の中になったということは、今までは誰も疑わず見破られなかった虚構、幻想を客観的に把握できる人がどんどん増えてきているということの裏付けのように感じます。

 

全員が同じ虚構を信じているからこそ構成されていた社会が、その虚構を疑う人だらけになったらどうなるのか。

 

科学が宗教に取って代わったように、また新たな虚構が誕生するのか。

 

まだそれはわかりませんが、少なくとも今自分が生きている社会が実体のない虚構、関係性の上に存在している不確かなものであるということを認識し理解した上で、

その虚構を抱えた社会とどのように向き合って生きるかを考えることは意味のあることのように感じます。

 

まとめ

まじめっぽいこと書いちゃった。

 

でもわりと日々こんなこと考えて生きてます。

 やっぱり、当たり前だと思ってるものもよくよく考えてみたら当たり前じゃないことって本当に多いし、批判的にいろんなものを疑ってかかるのは結構大切だなと思います。

 

騙されてはいかん!しっかりアタマつかって、本当に自分が信じてもいいと思ったものを信じないと、他人の価値観に動かされるだけの人生になりかねない!!

という感じです。明晰判明?

 

まあ盲目的に信じられる方が本人にとっては幸せだったりもするので、そこは一概には言えませんが。何も信じられなくなって途方に暮れたりもしますし。

 

というわけで、ぼくはこういう考え方してるよーという、書評に見せかけた自己主張みたいな記事でした。

 

ありがとうございました。